祈りと呪い、願うという行為において好意があるか悪意があるかの違いであり、前向きか後ろ向きかの違いで差異がないように思う。
祈りと呪いは、非接触であるにも関わらず、周囲に影響を与えるわけで、そこに何かしらの場への力の干渉が出てくる。
はてなブログを始めてぺーぺーで右も左も分からないのだけれど、ホッテントリーは他者への悪意で満ちているし、ITチックなガジェットネタだったりと、なんだかなぁーと。ちょっと前にあったはてなユーザーのオフ会だけど、あれは結局良い方向に行ったんだろうか。
悪意が場に満たされれば、それは精神に影響する為に、今のはてなブックマークの使用感としては辟易してて面白くねーな、馬鹿じゃねーの、いちいち他人の振舞い気にしてどうしたよ。アクセスがどうのこうの、気にしてられっか、って感じじゃん。
好意だけの場ってのも堕落するしかないわけだけどさ、俺は優しい言葉をかけられるだけで涙が溢れてくる現状で、俺の周りには呪いしかないんだろうね。
そんなオカルトありません。というのは合ってるけど、言葉、振舞いが他者に影響を与えるのは分かるし、遠く離れた場所で発動するのなら、運だけの結果で、祈るから呪うからで影響は出ない。でもネットで、近距離で殴り合える状態なら呪いだけで相手を堕とせるからネット怖い。って思った。